女子大学生 diary

大学5年生

インフルエンサー×アパレルブランド

こんにちは。

大学5年生です。

 

書くテーマが思いつかないと言っておきながら、思いつきました(笑)

最近疑問に感じていた、インフルエンサーとアパレルブランドについてです。

 

アパレルブランド多すぎ問題

ここ数年でスマホが普及し、SNS無しの世界は考えられなくなったと思います。

SNSは想像以上に私達に影響を与えています。

以前の記事でもSNSについては触れているので、よかったら読んでください。

chakadenchang.hatenablog.com

 

それで、私が疑問を持っていることはインフルエンサーが続々とアパレルブランドを展開していることです。もちろん、企業からお声がかかってアンバサダー的なかたちでブランド紹介をしている方も一定数いるでしょう。

 

にしても、私は思うのです。

環境問題が深刻化しているなかで、こんなにもアパレルブランドを出していいのかと。

フォロワー数が多ければ多いほど、商品の購入に繋がるとは思います。だからといって、多くのインフルエンサーがこぞってアパレルブランドを出すことに私は違和感を感じています。

 

裏を返せば、アパレルブランドしか出せないのか、と私は意地悪く思ってしまいます。

 

環境問題

SDGsが注目されるようになり、より一層環境問題に意識が向いていくなかで、環境問題の大きな要因の一つにも挙げられるアパレルを取り扱うことに疑問を持つ人が少ないんだなと感じます。

私は、ゼミでSDGsCSRを扱っていて卒業論文SDGsと環境問題をテーマにしているため、尚更アパレルと環境問題を結びつけて考えてしまう癖があります。

 

私たちには、アパレルブランドを立ち上げる経緯がには見えてこないので、インフルエンサーに問題があるとは言えませんが、仮に、インフルエンサーを務める人たちが自らブランドを立ち上げることを言ったならば考える余地はあると思います。

 

この時代だからこそ、数多のインフルエンサーとひと味違う目の付け所があると期待できる真のインフルエンサーと言えると思うんですよね。

もちろん、全てのインフルエンサーが悪いとは思っていませんし誰も環境について考えていないとも思いません。

でも、フォロワーがある程度増えた時に洋服販売に出てしまうようであればそのインフルエンサーとブランドはいずれ頭打ちになるんじゃないかなと思いました。

何を読みたいですか?

こんにちは。

大学5年生です。

 

最近、全然更新ができていない、、、、😢

 

というのも、記事にするテーマが思いつかないんですよね。

 

女子大学生のブログって、どんなのが需要あるんだろう。

どうせ書くならもっと多くの人に読んでもらって、読者増やしたいなと思うんです。

私の記事って、結構真面目な内容が多いから万人受けするものではないなと感じていて。

 

文章を書くこと自体は好きだから更新頻度を上げていきたい!

 

就活については、就活が本格化した頃に書こうかなと思っています。

それ以外で、こんな記事あったら嬉しいとかっていうのありますか?

 

幸せとは

こんにちは。

大学5年生です。

 

最近は読書にふけり更新が途絶えていました。

小説や自己啓発系を読んでいます。

 

それで、今回の内容は「幸せ」についてです。

本を読むと十人十色で幸せのあり方があるなと思ったのですが、自分の幸せについて考えた時に答えが出ませんでした。

 

幸せとは

皆さんにとって幸せとはなんですか?

お子さんがいる方は家族と一緒に暮らすことが優先度が高くなるでしょう。

付き合いたてのカップルでは、パートナーと共に時間を共有することかもしれません。

もちろん、私も家族や友達、彼氏と時間を共にすることは幸せのことだと思います。

でも、今の私はそれが最優先ではありません。かといって、最も幸せなことは何かと問われれば答えることはできません。

 

過去の幸せ

私は15歳までクラシックバレエ一筋でした。バレエが大好きで大好きでたまらなく、バレエを辞めることは考えられませんでした。

そんな生活を私は12,3年続けていました。

でも、色々あり私の中でバレエの愛が燃え尽きてしまい辞めることになりました。

バレエ以外の世界に足を踏み入れた私は、何もかもが新鮮でとても楽しく充実。

バレエでもその外でも多くのことを経験し学びを得ました。

しかし、バレエを辞めてから今までずっとどこか心に穴が開いているのです。

 

この穴は一時的に埋められても、また傷口が現れてきます。

 

私の幸せ

きっと、私の幸せはこの傷口を完璧に直す薬に出会えた時なんだと考えます。

少なくとも、新しい家族ができるまでは。

だから、私は結婚するまで薬を見つける必要があると考えています。

でもなかなか出会うことができません。

多趣味なほうではありますし、ひとりで何かをすることも好きですがそれでは全然私の感情は満たされないのです。

バレエをしていた時と同じような感情になる何かを、見つけるの難しいです。

 

皆さんは、無我夢中になれる特定の何かはありますか?

あるとしたら、本当に幸せだと思います。

資本主義とSNS

こんにちは。

大学5年生です。

 

最近本を読んでいて、感じたことがあります。

本の題名は、NHK 100分 de 名著 カール・マルクス資本論

とても興味深いです。私が知識が浅かったからという理由もあるかもしれませんが(笑)

読んで損はないと思います。時間があればぜひ。

 

商品に振り回されている私たち

資本主義は簡単に言ってしまえば、資本を増やすことが目的、というより、止めることができない構造になっています。

常に市場競争にさらされているため、資本をどんどん増やすことで規模を大きくし、また労働者に賃金を支払っています。お金が無いと生活ができない資本主義社会。

資本家と労働者の需要と供給がマッチしていると言えるでしょう。

 

そんな資本主義では、「売れる=価値」なのです。人間の役に立たなくとも、売れればそれは価値があるのです。

売れる、売れない、ある程度予測することができても、それを決めるのは人間の心です。人間を取り巻く環境、情報、が変わってしまえば売れていたものでも売れなくなることはざら。

タピオカがいい例でしょう。流行というものは、予想はできても期限や量まで予測不可能です。

だから、在庫不足になったからといって一つの流行りだけを見て大量生産したとたん、一年後には在庫を抱えてしまうのです。

 

商品(価値)を生産するのは人間です。しかし「価値ある商品」を介すことで私たち人間は、切れそうな命綱にしがみついて死にたくないと思ってしまいます。

商品(価値)に私たちは振り回されているということです。

 

SNSにも振り回されている

私はSNSに価値が置かれることはもっと怖いと思います。

誰もが簡単にSNSを使えるようになった今、求められているのは、如何に注目してもらえるか。どれだけ映えるか。

だからインフルエンサーを使って商品を紹介したり、と。

 

今度は、商品(価値)がSNSに振り回されていると私は考えます。今や流行はSNSを通じて一気に広まります。だから、SNSで注目されないものは価値が無いのです。

商品だけではありません。

 

またしても、人間が振り回されます。

今度は経営とか関係なしに、SNSをやっている人は無意識に心情が振り回されています。

この投稿をしたらどう思われるか、幸せそうなカップルに見えるか、素敵な旦那に見えるか、服はダサくないか、、、常に客観的な視点を強いられてしまいます。

SNSネイティブである私たち世代が、自分の人生の選択をするときに無意識的に客観的な視点、周りの目が気になって、最良の選択ができなかったら。

つまりは、本心にそぐわない選択をしてしまったら。

ここまでSNSの影響があるかは分かりませんが、SNSで注目、他者目線に価値を置く人が増えないといいと思います。

 

Youtuberが将来の夢の上位に入っている子どもたちにも言いたいです。

他者の評価だけがあなたの価値ではないし、他者の評価だけでは生きていけない、と。

 

資本を増やすために環境や労働者が酷使されるのと同じように、反響を求めて自分自身を犠牲にする未来は訪れて欲しくないと考えます。

 

 

人生長すぎる

こんにちは。

大学5年生です。

 

皆さんは夜寝る前に何を考えますか?

お仕事や学校で疲れている人は、考えごとをする前に寝てしまう人もいるでしょう。

 

最近の私は、諸事情で帰省をしておりコロナ感染を気にして全く外出をしていません。

だから、一日中考えごとをしています。

もちろん、24時間考えごとをしているわけではありませんが、読書をしたりYoutubeをみたりSNSを触ったり、、、

 

色んな情報を目にした結果、1日の終わりにはより考えることが増えてしまうのです。

そして思います。人生長すぎると。

 

パートナー

人生の長さに気づいたのはほんの数日のこと。

自分が一生連れ添うであろうパートナーをどう選択するのか考えたときです。

仮に27、28で結婚をして死を迎えるのが90前後だと仮定します。

約60年も同じ人と一緒に人生を歩むことを考えた時に、あまりの長さに辟易しました。

いくら相手を愛して一生寄り添い続けたいと思っていても、その想いが永遠に変わらずあり続けることは難しいと思いました。

 

20代の夫婦が80代の老夫婦に変わった時に、お互いのことをどう思うのでしょうか。

理想は、出会った頃から変わらず愛しているとお互い思い合えることだと思います。

でも、現実世界、そんな老夫婦わずかだと感じています。

もちろん、どちらかが先に旅立ってしまえば最初はひどく悲しむことでしょう。

でもその悲しみは、心から愛していた者がいなくなった悲しみなのか、それとも当たり前に自分の隣にいた者が突如消えてしまったことによる孤独感からなのか。

 

前者と後者とでは、悲しみの種類が大きく違うように感じます。

もし私が後者の悲しみを感じる場合も、同じように思うはずです。

人生長すぎる。と。

 

将来像

人生の長さを感じるのは、パートナーのことだけではありません。

自分のキャリアを考えるときにも同じように思いました。

私は、来年から社会人ですが30代40代50代と自分のキャリアをどう築くか、どう生きていきたいか、どうんな人になりたいか、と考えた時にもあまりにも未知のこと過ぎて疲れてしまいました。

そして、なぜこんなに将来のことで悩まなければならないのかとも思いました。

キャリアを考えるうえで、どうしても結婚出産が組み込まれてしまうため余計に考えることが増えます。どんな家庭を築きたいのか、子どもはどうするのか枝葉を拡げてしまうのです。

 

記憶に残る人に

将来を考えれば考えるほど、未来に出会うであろう、未来を共にするであろう人たちのことに意識が向きます。そして、今まで出会った友達や物凄く仲の良かった親友、お世話になった先生、深い関係だった人々の記憶が薄れていくのです。それは、至極当然のことでしょう。

 

でも、今の私はその事実が起きてしまうことに悲しみを感じています。

あれだけ笑い合って思い出を共有してきた仲間だったのに、こんなにも希薄になり得てしまうことに。

私は非常に細かいことでも記憶に残るタイプなので、小学生の頃の日常の些細な日常でも覚えていたりします。だから余計に、自分は覚えているのに周囲の人間は覚えていないだろうと思った時にひどく寂しさを感じてしまいます。

もう私は、あの時のあの人たちの記憶には残らないのだと。私を記憶している人たちはどれくらいいるのかと。

特に、思い出を共有した仲間には記憶に残る人間であってほしいと欲がでます。

 

私は、私が記憶に残らない人になることを考えた時に、寂しさを感じ人生長すぎると、また思いました。

新卒1年目

こんにちは。

大学5年生です。

 

諸事情がありブログが書けない状態が続いていました。

今日からまた更新していきます。

 

 

ここ数日、考えることが増えました。

人間関係から始まり自分は将来どうなりたいのか、自分の人生の流れについて物凄く考えるようになりました。

 

それで、今回は仕事に対しての不安を書きたいと思う。

 

 

新卒1年目

私は、今年の6月上旬に内定をもらった。

正直、特別に行きたい会社も無ければ手取りの高い企業に行きたいわけでもなかった。

もちろん、ブラック企業と言われるような会社には行きたくはなかったが。

だから、何となく社風や社員さんの雰囲気が自分に合っていて、仕事内容も興味を持てそうならそれで良いと考えてた。

内定の連絡をもらった時、就活を終わらしたい気持ちが強くすぐに承諾した。

クライアントが知名度のある企業でもあり、比較的安定している企業だったため他と検討することもなかった。

 

内定をもらって就活を終わらせ自分の時間が多くなった。

今は読書も習慣化し、また人間関係も少し変化した。

それらを通して多様な人生の歩み方や考えを聞くようになったからこそ、私のこれからの人生がどうなるのか不安になったのだ。

 

最も不安なのは、新卒1年目で入る会社で頑張れるかどうかだ。

興味を持てる仕事内容ではあったが、それは一部を見てそう思っているだけで実際のところはわからない。面白くないと思った瞬間、私は仕事を続けられるのだろうか。

 

みんな何をモチベーションに仕事を続けられているのだろうか。

まだ、私は大学生だから仕事のモチベーションなんてわからないのかもしれないが。

 

 

 

 

子どもに対する愛情

こんにちは。

大学5年生です。

 

 

恋愛ばかりの記事では面白くないので今日は違う内容を書こうと思います。

今回は私が長年悩まされている親子関係についてです。

 

 

皆さんの親子関係は?

皆さんは自分の家族、両親、兄弟姉妹関係はいかがですか?

喧嘩はするけど大好き、大事にしたい、理想の家族だ。

 

また親であれば、うちの子が一番かわいい、我慢をさせたくない、良い子に育ってほしい、正しい道を歩んでほしい。

 

人それぞれ、思うところはありますよね。

でも、その思いや願いはお互い共感しているのでしょうか。

 

親は子どもを可愛がる

私は一人っ子で、父母と18歳まで暮らし大学からは一人暮らしをしました。

一人っ子ということもあり、超可愛がられて育てられました。お金もたくさんかけてもらいました。言わゆる、箱入り娘です。

 

特に大きな問題や病気もなく第一希望の関東の大学にも入学できました。

全部、親が私に時間とお金をかけてくれたおかげです。

だから私は両親に感謝しています。もっと言えば祖父母にも感謝です。

本当に可愛がられました。何がそんなに可愛いのか不思議なくらい可愛がられました。

 

だから余計に思うのです。

「理想の家族と思えない私でごめんなさい」と。

 

押し付け

たくさん、たくさん、愛情を与えて育てられるというのは客観的に見れば恵まれたことです。実際、私も本当に恵まれていると思います。

しかし、その愛情には「心配、不安、そして自分の理想」これが常に付きまとっていると考えます。

 

事実、私の母親は極度の心配性。心配してもどうしようもないことを考えるのはもちろん、あらゆる情報を探してきて悪い情報だけを目にして最悪の事態を常に想定しています。

別にこれが悪いことだとは思いません。しかし、日常生活にそれが組み込まれており執拗に悪い情報を言ったり、自分の思い通りにならないとわめくのは違うと思います。

 

「自分の思い通りにすれば子どもの安全が守られる」確かにそうでしょう。

でも、それは裏を返せば自分の精神を安定させたいから、落ち着かせたいから、自分の我儘ではなく子どものことを思っているのだとしても、子どもである私が後々考えるとただの親の我儘も少なくないのです。

 

「あなたを思っている」

私が幼い時から母親は自分の思い通りにならないとヒステリックになりがちでした。

その時に必ず言うのです。

「あなたを思って怒っている」と。

幼い頃の私はそれを真に受け、母親は私のために怒ってくれているから怒鳴り声が嫌でも私が我慢するべきなのだ、反抗はするべきではないと思っていました。

 

しかし、私が年齢を重ねて成長していくにつれてどうも親が怒るポイントはおかしいと気づき始めました。

でもそれに気づいたころには、私は「母親のような母親にはなりたくない」そんな感情が芽生え始めていました。

 

余計なことを言えばまた喧嘩になる。家庭では、必要以上に感情は現さないようになりましたし、ネガティブな感情はできるだけで抑え込むようにしていました。

 

家族

私は大きく道を外すことなく第三者視点でみれば真面目なお利口さんに育ちました。

それは言うまでもなく両親のおかげです。

 

でも、理想の家族とは思えません。

気の強さからして、母親が全てコントロールをしており父親は言いなり。

また、父親はお酒が大好きでそれに関しても問題があり常に夫婦喧嘩をしていました。

また、私が母親に怒られて泣いていると、父親は決まって母親を責める。母親はヒステリックになる。さらにその怒鳴り声を聞いて、下に住んでいる祖母も加わり余計に喧嘩は火を増します。これの無限ループです。

一人っ子のため、この状況をひとりで治まるまで見ていました。

 

子ども目線

私はそんな家族が正直嫌いでした。

「母親みたいな母親になりたくない」と思う自分も嫌いです。

喧嘩を常に見て育ったため、高校生の時に大学では家を出ることを決心しました。

こんなにお金と時間をかけてもらったのに、家族が嫌いで家を出る決意した自分は心が冷たい人だと思われるかもしれません。

感謝はしているのに。。。。

でも、どうしても理想の家族とは言えないのです。

 

もっと穏やかな家庭で、家族が大好きであれば実家から地元の大学にも通っていたはずです。

両親は、私を県外の大学に行かせるために一生懸命朝から晩まで働く必要もなかったはずです。

 

子どもに対する愛情

時間とお金とリスク回避、これだけが愛情なのでしょうか?

子どもは贅沢を望んでいるわけではありません。

自分だけのために何かして欲しいとも思っていません。

もちろん夢や理想に突き進む自分をサポートしてくれるのは有り難いことでしたが、それと引き換えに理想の家族は私の中で消えました。

 

何か子どもにとって不自由があっても、「家族がいるだけで幸せ」と思えるような家庭があれば、それはその子どもにとって大きな愛情になり、支えになり、活力になるものだと私は思います。