人生長すぎる
こんにちは。
大学5年生です。
皆さんは夜寝る前に何を考えますか?
お仕事や学校で疲れている人は、考えごとをする前に寝てしまう人もいるでしょう。
最近の私は、諸事情で帰省をしておりコロナ感染を気にして全く外出をしていません。
だから、一日中考えごとをしています。
もちろん、24時間考えごとをしているわけではありませんが、読書をしたりYoutubeをみたりSNSを触ったり、、、
色んな情報を目にした結果、1日の終わりにはより考えることが増えてしまうのです。
そして思います。人生長すぎると。
パートナー
人生の長さに気づいたのはほんの数日のこと。
自分が一生連れ添うであろうパートナーをどう選択するのか考えたときです。
仮に27、28で結婚をして死を迎えるのが90前後だと仮定します。
約60年も同じ人と一緒に人生を歩むことを考えた時に、あまりの長さに辟易しました。
いくら相手を愛して一生寄り添い続けたいと思っていても、その想いが永遠に変わらずあり続けることは難しいと思いました。
20代の夫婦が80代の老夫婦に変わった時に、お互いのことをどう思うのでしょうか。
理想は、出会った頃から変わらず愛しているとお互い思い合えることだと思います。
でも、現実世界、そんな老夫婦わずかだと感じています。
もちろん、どちらかが先に旅立ってしまえば最初はひどく悲しむことでしょう。
でもその悲しみは、心から愛していた者がいなくなった悲しみなのか、それとも当たり前に自分の隣にいた者が突如消えてしまったことによる孤独感からなのか。
前者と後者とでは、悲しみの種類が大きく違うように感じます。
もし私が後者の悲しみを感じる場合も、同じように思うはずです。
人生長すぎる。と。
将来像
人生の長さを感じるのは、パートナーのことだけではありません。
自分のキャリアを考えるときにも同じように思いました。
私は、来年から社会人ですが30代40代50代と自分のキャリアをどう築くか、どう生きていきたいか、どうんな人になりたいか、と考えた時にもあまりにも未知のこと過ぎて疲れてしまいました。
そして、なぜこんなに将来のことで悩まなければならないのかとも思いました。
キャリアを考えるうえで、どうしても結婚出産が組み込まれてしまうため余計に考えることが増えます。どんな家庭を築きたいのか、子どもはどうするのか枝葉を拡げてしまうのです。
記憶に残る人に
将来を考えれば考えるほど、未来に出会うであろう、未来を共にするであろう人たちのことに意識が向きます。そして、今まで出会った友達や物凄く仲の良かった親友、お世話になった先生、深い関係だった人々の記憶が薄れていくのです。それは、至極当然のことでしょう。
でも、今の私はその事実が起きてしまうことに悲しみを感じています。
あれだけ笑い合って思い出を共有してきた仲間だったのに、こんなにも希薄になり得てしまうことに。
私は非常に細かいことでも記憶に残るタイプなので、小学生の頃の日常の些細な日常でも覚えていたりします。だから余計に、自分は覚えているのに周囲の人間は覚えていないだろうと思った時にひどく寂しさを感じてしまいます。
もう私は、あの時のあの人たちの記憶には残らないのだと。私を記憶している人たちはどれくらいいるのかと。
特に、思い出を共有した仲間には記憶に残る人間であってほしいと欲がでます。
私は、私が記憶に残らない人になることを考えた時に、寂しさを感じ人生長すぎると、また思いました。